オタクへの嫌悪感とDQNへの憧れ

吐き出したいことがある。僕はアニメやアイドルと言ったオタクが好むものは嫌悪している。なぜならオタクの弱さに僕の中の弱さが見えるようで嫌いだからだ。同族嫌悪と言ったもなのかもしれない。それにアイドルとや萌えアニメと言った偶像を対象にしたものは空虚なものにしか感じれない。そんな存在なんてこの世のどこにもいないんだ。オタクたちはそこに虚しさを感じないのだろうか?

 

僕がそんなことを考えるようになったのも17歳の時滝本竜彦の書いた綾波忘却計画を読んだからだ。にじ魂と言うサイトに転載されていて、それを読んだ僕はひどく心を揺さぶられたのを覚えている。ちょうど引きこもっていてアニメといったもののに虚しさを感じていた。それに何十年も追っかけていた声優オタクが結婚によって、ふと自分を振り返ってみれば自分には何もないという文章にもかなり衝撃を受けた。

 

僕には架空の存在は害であるとしか思えない。そんな架空の存在に時間を費やすならリアルを生きようぜっと思う。リアルが何かは僕にはわからないしリアルを生きたことなんてないから偉そうなことは言えない。けど僕はリアルを生きたいしそれを望んでいる。アニメなんて僕は綾波忘却計画を読んでから見なくなった。

 

オタクの対極にいるのがDQNと言われている人たちだ。僕はそういったDQN的なものに対する憧れが半端じゃないほど強い。「仲間」「地元」そういったワードにすごく引かれるし、僕と同じように中卒でありながらも働いて子供を育てている。そういった強さにすごく憧れる。僕みたいなひきこもりとは真逆な存在だ。僕はそういったDQN系にこの歳になっても憧れているから、ジムに行って筋肉をつけようとしている。まだガリガリだがこの夏が終わる頃には少しマッチョになりたいと思っている。

 

DQNの女の子に対する素直な態度がすごく羨ましい。普通の人間関係すら悩んでいる僕にはまさに神みたいな存在だ。こいつは俺の女だっという自身に満ち溢れた態度全てを見習いたいしそういう風になりたい。some just thing like this!こういう存在に僕はなりたい。ただ彼らみたいに生きたい。

 

リアルを生きよう。と言う言葉を繰り返そう。そしたらリアルを生きれるさ。オタクでないのにDQNにもなれない僕。中途半端な存在だ。だからどこにも居場所がない。そんな存在だからこそナンパをすれば、オラオラ系みたいにリアルを生きれるのではないかとナンパに対する思いが燃え上がる。